国宝(映画)|立花喜久雄(花井東一郎)モデルは?小野川万菊なぜ扇子を渡した?

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映画「国宝」の深層に迫る:万菊の真意と喜久雄のモデルとは

いやはや、映画「国宝」をご覧になりましたか?

僕も観たのですが、あの圧倒的な熱量と、歌舞伎という世界の奥深さに、すっかり心を奪われてしまいました。

3時間という長尺を感じさせない濃密な物語は、観終わった後もずっしりと心に残りますよね。

今日は、特に皆さんが気になっているであろう、作中の重要な謎と、主人公の秘密に迫っていきたいと思います。

ぜひ最後までお付き合いください!

※ネタバレ注意 ■目次

国宝(映画)解説|小野川万菊が立花喜久雄(花井東一郎)に扇子を渡した真意とは?

映画を観た人なら誰もがその存在感に息を呑んだはずです。

人間国宝の女形、小野川万菊。

田中泯さんが演じる万菊は、まさに「化け物」と称されるほどの凄みと妖気を放っていましたね。

喜久雄がまだ少年の頃、万菊は彼に「綺麗なお顔、でも芸をするのには邪魔も邪魔。顔に喰われる」と告げていました。

この言葉、最初は戸惑いますよね。

でも、万菊の人生、そして芸の道を究めた者の境地を思うと、深い意味があるように感じられます。

万菊自身は、晩年、美しさから解放されたくて「美しいものが何もない場所」で安堵していると語っていました。

それは、常に最高峰の美を追求し、その重圧に苛まれ続けた人生の「美の呪縛」から逃れたいという願いだったのではないでしょうか。

さて、物語終盤、失意の底にあった喜久雄が、死期が近い万菊の粗末なアパートの一室に呼ばれるシーンがありました。

そこで万菊は喜久雄に扇子を渡し、「踊ってみろ」と促します。

この時の万菊の真意は、一体何だったのでしょう。

考えられるのは、いくつかあります。

まず、一つには、喜久雄の才能がまだ失われていないかを確認する「試金石」だったのではないでしょうか。

万菊は、喜久雄の芸に何か特別なもの、自分と同質の「化け物」としての才を見抜いていたはずです。

「あなたには芸があるのに、舞台に立たずに何をやっているのか」という、ある種の叱咤激励だったのかもしれません。

また、万菊自身が経験した、芸を究める者の宿命と孤独を、喜久雄の中にも見ていたのかもしれませんね。

万菊が「私には分かるの」と呟いたのは、喜久雄が歌舞伎の世界、舞台の輝きから決して逃れられない、そして逃れるべきではない運命にあることを悟っていたからではないでしょうか。

芸を憎む感情でさえ、芸の肥やしになるという万菊の言葉は、喜久雄の心の奥底を見透かしていました。

その扇子に込められたのは、喜久雄の芸への執念、そして「人間国宝」となるべき彼の才能を、万菊が最後に確かに認めた証だったのだと、僕は感じました。

国宝(映画)解説|立花喜久雄(花井東一郎)ののモデルは実在?

主人公・立花喜久雄の壮絶な半生を見ていると、「これって実話なんじゃないの?」と誰もが一度は思いますよね。

それくらいリアルで、胸に迫るものがありました。

しかし、原作者の吉田修一先生は、特定の人物をモデルにしたわけではないと明言されています。

複数の実在する歌舞伎役者たちの要素を融合させ、物語に深みを与えているのです。

では、一体どんな名優たちの姿が、喜久雄の中に息づいているのでしょうか?

まず、最も有力なモデルの一人として名前が挙がるのが、五代目坂東玉三郎さんです。

玉三郎さんもまた、養子として名門の歌舞伎一家に迎えられ、女形として比類なき美しさと芸を確立し、「生きる国宝」とまで称される存在です。

喜久雄の幼少期の波乱に満ちた生い立ちや、そこから歌舞伎界に入り、革新的な芸で頂点に上り詰めていく姿は、玉三郎さんの人生と多くの共通点を見出すことができます。

そして、もう一人、喜久雄の人物像に大きな影響を与えていると考えられるのが、六世中村歌右衛門さんです。

彼は、その芸に対する厳しさや、孤高の存在として生きたその姿勢が知られています。

養子制度の中で育ち、師匠との葛藤や孤独を抱えながら芸を磨き続けた歌右衛門さんの背景は、喜久雄が直面した血筋の問題や、天才ゆえの孤独感と重なる部分が多くあります。

作中で描かれる、才能と血筋の間の葛藤、伝統の世界における苦悩は、まさに歌右衛門さんが経験したであろう道のりを彷彿とさせます。

吉田修一先生は、この小説を執筆するために、なんと3年もの間、歌舞伎の舞台裏に「黒衣」として入り込み、徹底的な取材をされたそうです。

役者たちの息遣いや、舞台の空気感、そして歌舞伎界の慣習や人間関係を肌で感じ取ったからこそ、フィクションでありながら、まるでドキュメンタリーを観ているかのような、あの圧倒的なリアリティが生まれたのでしょう。

喜久雄という一人の役者の人生を通して、歌舞伎という伝統芸能の光と影、そして芸に命を捧げる人々の業(ごう)が鮮やかに描かれていました。

まとめ

映画「国宝」は、まさに日本の宝とも言える芸術作品だと、僕は確信しています。

まだ観ていない方は、ぜひ劇場で、この「国宝」級の体験をしてみてくださいね。

最後までお付き合いいただいてありがとうございました。