国宝(映画)の万菊のセリフ考察「綺麗な顔は顔に喰われる」「歌舞伎が憎い」「それでもやる」

当ブログにはプロモーションが含まれています。

スポンサーリンク

映画『国宝』の「化け物」万菊が語る、芸の深淵と役者の宿命!あの言葉の真意に迫る

映画『国宝』、もうご覧になりましたか? 僕は公開前からずっと気になっていて、先日ようやく映画館に足を運びました。吉沢亮さんと横浜流星さんの凄まじい演技はもちろん、この作品を語る上で欠かせないのが、人間国宝の女形・小野川万菊という存在ですよね。田中泯さんが演じた万菊の、圧倒的な存在感と、少ない言葉の裏に秘められた深遠な真理に、僕はずっと心を奪われていました。今日は、そんな万菊の印象的なセリフを深掘りして、その真意を一緒に考えてみたいと思います。

ぜひ最後までお付き合いください!

※ネタバレ注意

■目次

国宝(映画)の万菊「綺麗なお顔、でも芸をするのには邪魔も邪魔。顔に喰われる」の考察

このセリフは、まだ幼い喜久雄が万菊の楽屋を訪れた際に言われた言葉です。初めて聞いた時、「え、褒めているようで実は厳しいこと言ってる?」と感じた方も多いのではないでしょうか。僕もそうでした。

万菊は、喜久雄の生まれ持った美しい顔立ちが、ともすれば芸の邪魔になる可能性を指摘していたのだと思います。歌舞伎の世界、特に女形においては、ただ顔が美しいだけでは一流にはなれない。それどころか、その美しさばかりが先行してしまい、芸が追いつかなければ、結局は「顔に喰われて」しまう、つまり役者として大成できないことを示唆しているんです。

これは、歌舞伎の「型」の美学に通じる話だと感じました。単に女性を模倣するのではなく、稽古を重ねて「女性らしさ」という型を極めることで、写実を超えた芸術としての美しさを表現する。万菊自身も、究極の美を追求する中で、常に自身がその美を超えなければならないという「美の呪縛」に苛まれていたのではないでしょうか。だからこそ、その呪縛を幼い喜久雄の中に見出し、ある種の哀れみをもって伝えたのかもしれません。僕たちの世界でも、俳優さんが容姿ばかりに注目されて、本当にやりたい役が来ない、なんて話を聞くことがありますよね。いつの時代も、どんな世界でも、本質を見抜くことの難しさを突きつけられるような言葉だと感じました。

国宝(映画)の万菊「あなた歌舞伎が憎くて仕方ないんでしょう、でもそれでいいの、それでもやるの」の考察

このセリフは、万菊が花井半弥(俊介)を指導している最中に、その場にいた喜久雄に向けて発せられた言葉でした。一見、俊介への指導に見えて、実は万菊は喜久雄の心の奥底を見透かしていたんですよね。

喜久雄は、任侠の家に生まれ、歌舞伎の世界に飛び込んできた男。父親を巡る葛藤や、歌舞伎の伝統に対する反発など、心の中に「歌舞伎が憎い」という複雑な感情を抱えていることが映画の中で描かれています。そんな喜久雄の「憎しみ」すらも、芸の肥やしとなり得る、と万菊は語っているんです。

愛と憎しみは表裏一体。本当に深く向き合ったものだからこそ、時には憎しみに似た感情を抱くこともある。それでも舞台に立ち続けるのが役者の性(さが)であり、それが芸の深みへと繋がっていくのだと。この言葉は、まさに「芸の業」であり、「悪魔との取引」をしてでも芸を極めようとする喜久雄の生き様を肯定するかのようにも聞こえました。僕も仕事で「もう嫌だ」と思うことは多々ありますが、それでも続けているのは、どこかで「好きだ」という気持ちや、それが自分の存在意義になっている部分があるからかもしれません。万菊の言葉は、芸術の世界だけでなく、人間が何かを突き詰めることの本質を突いているように感じて、胸が締め付けられました。

万菊を演じたのはあの人!田中泯さんの存在感に痺れる

そして、この万菊という人物に、とてつもない説得力と「化け物」じみた凄みを与えていたのが、演じた田中泯さんです。田中泯さんは、世界的に活躍する舞踊家であり、俳優としても数々の作品に出演されています。僕も『たそがれ清兵衛』での鮮烈なスクリーンデビューを見て以来、その存在感に圧倒されてきました。

しかし、歌舞伎役者、ましてや人間国宝の女形を演じると聞いた時には、正直驚きました。伝統的な歌舞伎の「型」を極めた女形と、自由な身体表現を追求する舞踊家。一見すると対極にあるように思えますよね。ですが、田中泯さんはその見事な佇まい、所作、そして眼力で、多くの観客を「本物の人間国宝の女形かと思った」「異次元の存在感」と唸らせました。SNSでも、「鳥肌が立った」「怖いくらい凄かった」という声が本当に多かったですよね。僕自身も、田中さんの万菊が登場するたびに、画面の空気が一変するような感覚を覚えました。それは、演技という枠を超えた、まさに「存在そのもの」が放つオーラでした。この映画が「100年に一本の傑作」と評されるのは、田中泯さんの万菊がいてこそだと、改めて強く感じています。

映画『国宝』は、喜久雄という一人の役者の人生を通して、歌舞伎という伝統芸能の光と影、そしてそこに生きる人々の情念を深く描き出しています。特に万菊というキャラクターは、その短い登場シーンの中に、芸の厳しさ、美しさ、そして狂気といった、この作品の核となるテーマを凝縮して見せてくれました。彼の言葉一つ一つが、観る者の心に深く響き、忘れがたい余韻を残します。まだご覧になっていない方は、ぜひ映画館の大スクリーンで、この「国宝級」の体験を味わってほしいと心から願っています。

最後までお付き合いいただいてありがとうございました。