坂口健太郎wiki|学歴、大学や高校は?出身中学・小学校は?

当ブログにはプロモーションが含まれています。

スポンサーリンク

坂口健太郎さんの魅力に迫る!学生時代のエピソードを深掘り

爽やかな笑顔と透明感のある雰囲気で、今やドラマや映画に引っ張りだこの俳優、坂口健太郎さん。

「塩顔男子」の代表格として、彼の登場は世の女性たちを虜にしましたよね。

僕も彼の活躍にはいつも注目していて、特に役によってガラリと変わる表情には毎回驚かされます。

今回は、そんな坂口健太郎さんの知られざる学生時代を、幼少期から大学まで時系列に沿って深掘りしていきたいと思います!

どんな学生生活を送っていたのか、気になりますよね。

きっと、今の彼を形作る大切なエピソードがたくさん隠されているはずです。

■目次

坂口健太郎wiki|小さい頃の生い立ちは母子家庭

坂口健太郎さんは1991年7月11日に東京の府中市で生まれました。

ご両親とお姉さんとの4人家族で育ったそうですよ。

残念ながらお父様はすでに他界されていますが、お父様の影響で洋服が好きになり、それがモデルを志すきっかけの一つになったとも言われています。

男として、そういう父への憧れってありますよね。

お母様は元女優さんで小劇団で活躍されていたそうで、その影響で坂口さんは幼い頃から演じることに親しみを感じていたんだとか。

読書好きのお母様の影響で、彼自身も本を読むことが好きになったそうですよ。

しかもお母様、とってもユニークな方らしくて、小さい頃に坂口さんが床にパンダの絵を落書きした際、怒るどころか「素晴らしい!」と褒めて家族で写真まで撮ったというエピソードも残っています。

その自由な発想は、まさに坂口さんご自身も「クレヨンしんちゃんみたいな子」と言われていたという話にも繋がりますね。

とにかく忘れ物が多くて、ランドセルやお弁当を忘れて学校に行くこともあったというから驚きです。

そんな時は、お姉さんのクラスにお弁当を分けてもらいに行っていたとか。

僕だったら恥ずかしくてお姉さんのクラスになんて行けませんよ(笑)。

保育園時代から「悪目立ち」したがるタイプで、演芸会ではいつも悪役を選んでいたというから、小さい頃からもう只者じゃなかったんだなとニヤニヤしちゃいますね!

小学校時代はボーイスカウトにも所属していたりと、活発な少年だったようですね。

坂口健太郎|小学校は?

明星小学校から始まった学びの道

坂口健太郎さんは、明星小学校に通っていました。

親友が「小学校からずっと一緒の学校に通っている」と話していたことや、明星中学・高校の系列校であることから、この明星小学校である可能性が高いとされているんです。

この学校は東京都府中市にあり、偏差値は36とされていますね。

小学校から私立に通っていたため、電車通学だったそうです。

そして、明星小学校の児童の約7割が明星中学校に進学するそうなので、小学校から中学校、高校と一貫校で過ごされた可能性が高いんですね!

坂口健太郎|出身中学は?

坂口さんは明星小学校を卒業後、そのまま明星中学校に進学しました。

この明星中学校も府中市にあり、偏差値は50程度と言われています。

ここで彼の中学生時代のエピソードをいくつかご紹介しましょう。

元々背が高かった坂口さんですが、中学に入学するとすぐにバレーボール部の顧問の先生から身長の高さを買われ、強引に勧誘されて半強制的にバレーボール部員になったそうです。

「もうお前はバレーボール部だ」なんて言われちゃったみたいで、先生にとっても最高の新人だったんでしょうね(笑)。

最終的にはキャプテンも務めるほど活躍し、地区大会で優勝して都大会にも進出しています。

練習はかなりスパルタだったそうですが、この頃に後の日本代表キャプテンとなる柳田将洋選手とも練習試合で対戦したことがあるというから驚きです!

運動神経だけでなく、勉強もできた坂口さんは、なんと生徒会長も務めていました。

まさに文武両道!

でも、生徒会長になったのも先生からのプレッシャーがあったから、という話には、彼の周りの人から愛される人柄がうかがえますよね。

オフの時間はゲームセンターに通って「ストリートファイター」にハマったり、カラオケでBUMP OF CHICKENを熱唱したりと、学生生活も満喫していたようです。

ストリートファイターとかBUMP OF CHICKENとか、僕と趣味が合いそうで勝手に親近感湧いちゃいました!

坂口健太郎|出身高校は?

明星中学校を卒業した坂口さんは、そのまま系列の明星高等学校へ内部進学しました。

こちらも府中市にある私立高校で、偏差値は58くらいですね。

2007年に入学し、2010年に卒業しています。

中学時代に引き続き、高校でもバレーボール部に所属し、キャプテンとして活躍しました。

中学でバレーは辞めて演劇の道に進もうかと考えたこともあったそうですが、結局はバレーを続けたというから、相当バレーボールが好きだったんでしょうね。

高校時代は本気で全国大会を目指していたものの、都大会で惜しくも敗退してしまったそうです。

当時、身長183cmという高身長を活かしてチームの主力選手として活躍していた坂口さんですが、今よりも筋肉質で体重も10kg以上重かったそうですよ。

そのたくましい体格から、周りからは「ダビデ」と呼ばれていたとか。

ダビデってあだ名、なんか妙に納得しちゃいますよね(笑)。

不良っぽさに憧れて眉毛を剃ったり、ソフトモヒカンにしたり、日焼けサロンに通っていた時期もあったそうですが、意外にもその頃は全くモテず、自然体になってからの方が人気だったと話しています。

そして、高校時代の坂口さんはとにかくモテモテだったという伝説がいくつも残っています。

バレンタインデーには机の中に教科書が入らないくらい大量のチョコレートをもらっていたり、卒業式では制服やカバン、ボタンまで全て後輩にあげてしまい、ワイシャツとスラックス姿で家に帰ったというエピソードには思わず笑ってしまいました。

練習試合に他校へ遠征すると、彼のスパイクが決まるたびに女子生徒から黄色い悲鳴が上がっていたなんて話も聞くと、もうモテすぎですよね!

坂口健太郎|最終学歴は大学卒業?中退?

高校を卒業した坂口さんは、大学に進学しました。

どこの大学だったかは公表されていませんが、東洋大学への進学がかなり有力視されているんですよ。

東洋大学の白山キャンパスでの目撃情報やSNSへの投稿がその根拠になっているそうです。

偏差値は学部にもよりますが、42?60くらいの大学ですね。

大学時代、坂口さんは好きな映画「さらば青春の光」を高校3年生か大学1年生の時に観たという発言から、大学に通っていたことは間違いないようです。

しかし、彼は大学に1年ほど在籍した後、中退したと言われています。

その理由は、大学入学と同時期の2010年にMEN’S NON-NOのモデルオーディションに合格し、芸能界入りしたため、学業との両立が難しくなったからだそう。

いやー、モデルとしてデビューしちゃったら、学業との両立は確かに大変ですよね!

俳優という道は、このモデル活動を経て徐々に視野が広がり、「固まった」と語っています。

大学時代に見た映画「青い春」に感銘を受けたとも話しており、彼の感性が磨かれた大切な時期だったことがうかがえますね。

これからの活躍に期待!

幼い頃から自由奔放で、学生時代はバレーボールに情熱を注ぎ、生徒会長も務めるなど、多才な才能を発揮してきた坂口健太郎さん。

その裏側には、ユニークなご両親や、時に厳しい部活動の経験があったのですね。

モデルとしてデビューし、今ではドラマや映画で主役を演じる人気俳優にまで成長した坂口さん。

彼の活躍を知れば知るほど、その人柄やルーツに惹きつけられてしまいます。

これからも坂口さんの活躍から目が離せませんね!