近畿地方のある場所(映画)考察wiki|どのくらい怖い?怖くない?

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皆さん、映画『近畿地方のある場所について』って、どれくらい怖いと思いますか?

僕はホラー映画が大好きで、色々な作品を観てきましたけど、この作品は本当に背筋が凍るような恐怖体験でした。

世間では「怖くない」とか「期待外れ」なんて声もチラホラ聞こえるようですが、僕から言わせてもらえば、あれは「ガチ」で怖かったです。

特に「このホラーがすごい!2024年版」で第1位を獲得したと聞いていたので、期待値は高かったのですが、その期待を裏切らないどころか、はるかに超えてきましたね。

Filmarksの評価も3.7点と高めですが、個人的にはもっと評価されてもいいんじゃないかな、と。

さて、一体何がそんなに怖かったのか、詳しく語っていきましょう。

ぜひ最後までお付き合いください!

※ネタバレ注意

■目次

近畿地方のある場所(映画)考察wiki|どのくらい怖い?怖くない?

まず、この映画が恐ろしいのは、その巧みな構成にあります。

主人公の千紘と小沢が失踪した編集者の佐山が残した資料を追っていくんですが、その資料がもう、ただの映像じゃないんです。

ビデオテープ、配信動画、さらには短編アニメまで、様々な形式の「ショート動画」で怪異が描かれる演出は、まさに現代的で、飽きさせない作りになっています。

この「モキュメンタリー」と呼ばれる手法が、本当に現実とフィクションの境目を曖昧にしてくるんですよね。

観ているうちに、まるで自分もその資料を紐解き、怪異に巻き込まれているような感覚に陥ってしまうんです。

特に印象的で、僕が思わず声を上げそうになったのが、動画配信者のヒトバシラ氏による「首吊り屋敷」の生配信映像です。

もうね、天井からぶら下がる大量の首吊り縄を見た瞬間、心臓がバクバクしましたよ。

壁一面に貼られた、不気味な鳥居の絵と「了」の文字。

そして、カメラに映り込む首吊り少年の姿。

あれは本当にヤバかった。

彼のSNSアカウントがその後消滅したという話も、じわじわと恐怖を煽ります。

あとは、「見たら死ぬ動画」も強烈でした。

断片的な映像が猛烈なスピードで切り替わり、その背景から聞こえてくる断末魔のような叫び声。

あれは本当に耳に悪いですし、映像のノイズやアナログ感が、さらに不気味さを増幅させていましたね。

林間学校での集団ヒステリーの映像も忘れられません。

山から聞こえる「おーい、おーい、かきもあーるよー」という声。

女子生徒たちが次々に倒れていく様子は、まさに悪夢そのものです。

首が後ろに折れ曲がった少年や、赤い服の女の不気味な出現も、瞬間的な恐怖を突きつけてきました。

白石晃士監督の演出が本当に光っていて、僕は彼のファンなので、今回のメジャー作品で「白石ワールド」が全開だったことに、心底感動しました。

近畿地方のある場所(映画)|恐怖の源:怪異たちの正体と悲しい執着

この映画の怪異は、単なる幽霊話で終わらないのがすごいところです。

根底には、日本アニメ昔話で語られる「まさるさま」や、団地での遊び「ましらさま」といった伝承があります。

まさるが母を失った悲しみから「ましらさま」に導かれ、女性を呼ぶという話。

それが、なぜか「柿」と結びついて語り継がれていく。

そして、団地で首吊り自殺をした少年「了(アキラ)」。

彼もまた、強力な呪いとなって、生き物を生贄として喰らい続ける存在へと変貌してしまいます。

そして、了の母。

息子を失った悲しみから、赤い服の女となり、了の養分を集めるためにあの不気味な絵を拡散していたんです。

しかし、これらの怪異の真の元凶は、「やしろさま」と呼ばれる黒い石です。

これは、喪失を経験した人々の前に現れる、願いを叶える「神様のような存在」として描かれています。

映画の入場者特典の短編小説を読むと、この「やしろさま」が隕石、あるいは「宇宙船」ではないかという考察も出てきています。

ホラーなのに宇宙人?と驚くかもしれませんが、このスケールの大きさが、これまでのホラーとは一線を画す「今時の恐怖」なんです。

結局のところ、この映画の根底にあるのは、「子どもを失った母の執着」という、普遍的で悲しいテーマなんですよね。

近畿地方のある場所|映画版独自の解釈

映画版の大きな魅力は、原作小説をベースにしつつも、大胆なオリジナル展開を用意した点にあります。

特にラストは、原作を読んでいる人でも度肝を抜かれること間違いなしです。

主人公の千紘は、かつて幼い息子を殺され、その悲しみから「あまのいわやと」という宗教団体に入信していました。

そこで信奉されていたのが、あの黒い石です。

千紘の真の目的は、この黒い石の力を使って、死んだ息子を蘇らせることでした。

そのためには「生贄」が必要だったんです。

最初は佐山を狙っていたものの、佐山が感づいて失踪したため、次のターゲットとして目をつけたのが、小沢悠生でした。

千紘が小沢に積極的に食事を摂らせたり、「暴走するな」と釘を刺したりしていたのは、彼を生贄として健康に保ち、赤い服の女に奪われないようにするための、周到な計画だったんです。

ラストシーンでは、その全てが明らかになります。

小沢は、やしろさま(全身が白く、無数の手が生えた体毛のない猿のような姿)の生贄として、無数の目に包まれながら黒い石に吸い込まれていきます。

そして、千紘は息子を「たくみ」と呼び、涙を流しながら抱きしめます。

しかし、その赤ん坊の手は赤黒く、やしろさまのように無数の手が伸びてくるんです。

さらに、千紘の両目も左右に広がり、歪んでいく。

この衝撃の結末は、千紘が小沢を生贄に捧げたことで、息子は怪異として蘇ったこと、そして、その息子の養分を集めるために、千紘自身が呪いと化して発信を続けていくことを示唆しています。

呪いは終わらない。

むしろ、私たち観客にまで広がっていくような、絶望的な終わり方でした。

僕も最初見た時は、「え、何これ!?」と呆然としました。

ホラーとしての怖さだけでなく、物語の緻密さにも驚かされましたね。

近畿地方のある場所(映画)|原作との違い:異なる恐怖体験を味わう

映画版は、原作小説とは登場人物の名前や一部設定、そして終盤の展開が大きく異なります。

原作小説は、資料の紹介を中心とした「モキュメンタリー」の要素が強く、読者がまるで事件の真相を自分で推理していくような感覚を味わえます。

特にカクヨム版や単行本は、謎が散らばったまま読者に委ねられ、考察のしがいがある面白さがありました。

一方、文庫版はより物語性が強くなり、謎が整理されて読みやすくなっているそうです。

映画版は、この文庫版に近い構成ですが、最後の展開は映画独自のものです。

僕も、映画を観た後で改めて原作を読んでみたんですが、同じ怪異を扱っていても、語り手や視点が違うだけで、これほどまでに怖さの質が変わるのかと驚きました。

もしこの映画を観て「もっと知りたい!」と思った方は、ぜひ原作小説も読んでみてください。

きっと、また違う「怖さ」を味わえるはずです。

最後に:あなたはこの恐怖に耐えられるか?

この映画は、ホラーとしてもミステリーとしても、本当に見応えがありました。

散りばめられた伏線が、物語が進むにつれてパズルのピースのようにハマっていく感覚は、ゾクゾクするほど気持ちいいです。

「メジャー作品で白石晃士監督ワールド全開!」という点で、僕個人としては大満足でした。

椎名林檎さんの主題歌「白日のもと」も、映画の不穏な世界観に見事にマッチしていて、鑑賞後も頭の中をループしましたね。

正直、賛否両論あるのは理解できます。

特に後半の展開や、怪異のビジュアルについて「拍子抜けした」「チープだ」と感じる人もいるようです。

でも、僕は「あのオチだからこそ、前半のモキュメンタリーの恐怖がより意味を持った」と思っています。

暑い夏に映画館で涼みながら、良質な「トラウマ」と「ドラマ」を体験したいなら、この映画は絶対に観るべきです。

最恐のホラー映画が、あなたを待っていますよ。

さあ、情報をお持ちの方はご連絡ください。

お・待・ち・し・て・い・ま・す。

最後までお付き合いいただいてありがとうございました。