鞘師里保の現在地:伝説のエースがソロで輝くまでの全記録
鞘師里保さん、その名前を聞くと、反射的に「モーニング娘。の絶対的エース」という言葉が頭に浮かびますよね。
■目次
鞘師里保wiki|経歴
■絶対的エースの軌跡
彼女のキャリアは、まさに光の速さで駆け上がった天才の物語なんです。
1998年広島県東広島市生まれ。
実は5歳の頃、幼稚園のお遊戯会でモーニング娘。の「Go Girl ?恋のヴィクトリー?」を踊ったことが、彼女の運命を決めました。
「自分もこういう人になりたい」という強い想いから、6歳で名門アクターズスクール広島(ASH)に入所し、ダンスの才能を磨き上げます。
そして、約9000人が応募したオーディションを勝ち抜き、2011年にわずか12歳でモーニング娘。の9期メンバーとして加入しました。
加入後すぐにメインボーカルに抜擢され、瞬く間にセンターに立ち、当時のグループの再ブレイクを牽引した存在は、まさに神様からの贈り物でした。
その後、2015年末に一度グループを卒業し、海外留学という大きな決断を下しますが、2019年にはBABYMETALのワールドツアーでサポートダンサーとして世界を熱狂させ、2020年からはジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属してソロ活動を本格的に再開しました。
そして、2021年にソロ初のEP『DAYBREAK』をリリースし、2025年にはavex traxからのメジャーデビューも発表されています。
アイドルとして伝説を築き、現在はソロアーティストや女優、そして振付師としても活躍の場を広げる、その進化が止まらない姿には本当に痺れますね。
鞘師里保|卒業理由は?
■17歳のエースが下した決断
彼女がモーニング娘。を卒業した理由、これは多くのファンが驚き、そして納得させられた、非常に前向きな決断でした。
鞘師さんは17歳という若さで、2015年の大みそかにグループを卒業することを発表しました。
その背景にあったのは、「自分を磨きたい」「新しい挑戦をしたい」という強い意志です。
特に彼女が感じていたのは、「このままの自分で大人になってはいけない。自分が変わらなくては、もっと良いビジョンは見えてこない」という漠然とした危機感でした。
恵まれた環境で活動できていたけれど、「一生続けられることじゃない」と感じたときが、環境を変えるタイミングだと判断したのです。
具体的なきっかけとしては、2014年のニューヨーク公演での悔しい経験が大きかったそうです。
ライブ後の握手会で、海外のファンの方が簡単な英語で話しかけてくれたのに、「Thank you」としか返せず、また、スピーチも緊張で日本語になってしまい、自分の気持ちを伝えられないことが情けなかったと語っています。
この経験から、「英語やダンスを学ぶために留学をしたい」という目標ができ、「もっと世界は広いんだ」と感じたいポジティブな気持ちで卒業を決意したんですね。
周りからは「もったいない」と言われることもありましたが、彼女自身もその気持ちは理解しつつも、自分の人生は敷かれたレールの上を走ってきたわけではないから「破天荒を貫いたっていい」という覚悟が見えました。
自分の成長のために休業を決めたあの17歳の決断力、本当にすごいと思います。
鞘師里保|実家はお金持ち?
■実家は裕福?家族構成の真相
鞘師さんの実家が「金持ち」「社長」なのでは?という噂、気になりますよね。
鞘師家の家族構成は、両親、鞘師さん、そして妹さんと弟さんの5人家族です。
鞘師さんの父親について、確かに「社長」という噂がありますが、実際は少し違うようです。
父親は「サヤシ工業株式会社」というプラスチック加工会社に勤務しており、社長を務めているのは、父親の兄、つまり鞘師さんから見て叔父さんです。
父親自身は広島県内の工場の代表を務めていらっしゃるそうですが、親族経営であることや、工場の代表という立場から、「裕福な家系ではないか」と見られることも多いようですね。
実際の経済状況は不明ですが、愛情深い家族に囲まれて育ったのは間違いなさそうです。
鞘師里保|父親・母親は?
■鞘師家を支える両親と野球一家のエピソード
鞘師里保さんとご家族の関係は、ファンからは「温かい」ことで知られています。
父親はファンから「父師(ちちし)」という愛称で親しまれており、アイドルを目指すようオーディションを勧めたのも父親で、オーディションには常に付き添ってサポートしていたそうです。
また、鞘師さんと父親だけが生魚が好きという理由から、二人で高級感のあるお寿司屋さんへ「寿司デート」を楽しむ仲良しエピソードもあります。
そして、鞘師さんがカープ女子として知られるのには理由があり、父親の弟、つまり叔父さんは、元広島東洋カープのプロ野球選手(外野手)で、現在はカープのスカウトとして活躍されている鞘師智也さんです。
一方、母親については公表情報が少ないものの、鞘師さんがアイドル活動の初期に慣れない環境で苦労し、涙を流していた時期に、バラエティ番組で「ママには遠慮なく言いたいことを言って」という温かい手紙を送っていたという心温まるエピソードがあります。
陰ながら娘の成長を支え、誇りに思っている母親の存在が、鞘師さんの原動力になっていたのは想像に難くないですね。
鞘師里保|兄弟は?
■仲良し三兄弟と出身校
鞘師さんは3人きょうだいの長女で、2歳年下の妹さんと、6歳年下の弟さんがいます。
妹さんは運動神経が抜群でスポーツが得意らしく、鞘師さんが小学校の時に行われた二重跳びの生き残り大会では、接戦の末に妹さんが勝利したというエピソードも残っています。
また、弟さんはまだ幼い頃から周りに気を遣える優しい子で、「自分のお菓子を分けてくれる」ような可愛い一面があったと鞘師さんが話しています。
鞘師里保|出身高校・中学は?
次に学歴ですが、鞘師さんはモーニング娘。加入が小学6年生の時だったため、多忙なアイドル活動と並行して学業を続けていました。
出身小学校は地元広島県東広島市内の公立校で、小学校卒業を待たずに上京しています。
上京後に入学したのは、東京都港区立三田中学校です。
中学時代から映画やドラマに出演し、ラジオのパーソナリティも務めていたため、学校の部活動に参加する暇はなかったようです。
高校は芸能コースがあることで知られる日出高校(現在の目黒日本大学高校)の通信制課程に進学したとされています。
当時のモーニング娘。の活動が多忙を極める中、高校2年生の時にグループ卒業を決断しました。
鞘師里保|留学と英語力
■ニューヨーク留学とTOEIC820点獲得の裏側
彼女のキャリアの中で特に重要だったのが、モーニング娘。卒業後の海外留学です。
鞘師さんは17歳で単身ニューヨークに渡り、約2年間、ダンスと語学の集中的な勉強に取り組みました。
この留学の動機は、前述の通り、海外のファンに自分の言葉で想いを伝えられなかったという強い後悔から来ています。
当時の英語の成績は「コンプレックス以外の何ものでもないレベル」だったそうですが、彼女はまず語学学校で基礎を固めることに専念しました。
分からなくても「Yes!」と答えてしまうようなビギナーからのスタートでしたが、「分からないことは、分かるまで聞き返す」というストイックな努力を続け、結果としてTOEIC L&Rで820点というハイスコアを獲得しています。
この英語力が、後にダンススクールでの複雑な質問を可能にし、ダンススキルの向上にも役立ったと語っています。
ダンスについても、ニューヨークでは有名なダンススクールを4つ掛け持ちし、ストリートジャズを中心に学んでいました。
そこで彼女が受けた一番の衝撃は、「ダンスに正解はない」ということ。
日本では「揃えて踊ること」が良しとされていたけれど、NYでは先生のマネではなく、それを材料にして自分自身のオリジナリティやパッションを出す生徒たちが賞賛され、その価値観の変化がソロアーティストとしての表現の幅を大きく広げたんです。
この留学期間があったからこそ、私たちは今の鞘師里保さんの多才で、深みのあるパフォーマンスを見ることができているのだと思うと、彼女の挑戦し続ける姿勢に心から感謝したいですね。