キングダム解説wiki|昌平君は史実で実在?なぜ裏切る?死亡の死因は?

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キングダムの登場人物の中でも、特にその生き様が謎めいていて、僕の心を掴んで離さないのが昌平君ですよね。

彼のことが気になって検索しているあなた、きっと僕と同じ「キングダム沼」の住人でしょう。

今回は、そんな昌平君の史実と漫画の描写を織り交ぜながら、彼の深い魅力を語らせてください。

彼の生涯をたどっていくと、まるで一本の壮大な歴史ドラマを見ているような感覚になるんですよ。

ぜひ最後までお付き合いください!

※史実に基づいていますがネタバレ注意です

■目次

キングダム|昌平君って本当に実在したの?

はい、安心してください。

あの昌平君は、れっきとした史実の人物です。

僕も初めて知った時は「まじか!」って声が出ました。

だって、あんなに魅力的で、まるで漫画のために生み出されたようなキャラクターが、実際に歴史に名を刻んでいたなんて、すごいとしか言いようがないですよね。

彼の本名は残念ながら伝わっていませんが、「昌平君」という称号は、彼が高い爵位を持っていたことを示しているんですよ。

考えてみてください。

一国の総司令官であり、丞相まで上り詰めた人物が、本名ではなく地名に由来する称号で呼ばれているなんて、ちょっと不思議な感じがしませんか。

さらに驚くべきことに、彼は秦の敵国である楚の王族、つまり楚の公子だったんです。

楚の考烈王の息子で、秦の昭襄王の娘を母に持つという、秦の王族とも血縁のある複雑な生い立ちだったとされています。

そんな彼が、人質として秦に送られながらも、その才能と実力だけで秦の要職に就き、軍の最高司令官にまで上り詰めるなんて、本当に「能力主義」の秦だからこそ成し得た偉業だと僕は思いますね。

まさに逆境をはねのけて、自分の道を切り開いた稀有な人物と言えるでしょう。

キングダム|昌平君なぜ秦を裏切ったの? その理由に胸が締め付けられる…

ここが昌平君の人生で最もドラマチックで、そして切ないポイントです。

史実を見ると、彼は秦王?政の怒りに触れて丞相の職を罷免されているんですよ。

具体的なきっかけは、楚を攻めるための兵力について、王翦が「60万が必要だ」と言ったのに対し、李信が「20万で十分だ」と主張した時のことでした。

?政は李信の意見を採用し、王翦と彼を擁護した昌平君の意見を退けたんです。

この時、昌平君は丞相を解任されてしまいます。

これまで秦のために尽くしてきたのに、信頼していた王から職を解かれるなんて、想像しただけで胸が締め付けられますよね。

その後、彼は韓の旧都で反乱が起きた際、不安定な楚の旧都「郢陳」に派遣されることになります。

これは事実上の左遷だったのかもしれません。

そして、李信と蒙恬が楚に攻め込んだ際、その郢陳で反乱が勃発し、李信軍は楚の将軍項燕に背後を突かれ大敗を喫してしまうんです。

この反乱が昌平君によって引き起こされたのか、あるいは彼が項燕と共謀していたのか、具体的な記録は残っていません。

でも、楚の公子としての血が騒いだのか、あるいは秦での居場所を失った絶望からか、彼は故郷である楚のために動くことを決意したとされています。

この「裏切り」は、彼にとって避けられない運命だったのかもしれないと思うと、本当に切ない気持ちになりますね。

彼の中には、常に秦と楚、二つの国への複雑な思いが渦巻いていたのではないでしょうか。

キングダム|昌平君の死亡について。

最後の時、彼は何を思ったのか?

秦を裏切り、楚に身を置いた昌平君は、楚の将軍項燕によって新たな楚王として擁立されます。

これには僕も驚きました。

秦の丞相から、まさか敵国の王になるなんて、波乱万丈すぎますよね。

しかし、その新たな王としての時間は長くは続きませんでした。

彼は項燕と共に、秦の王翦と蒙武が率いる大軍と再び激突します。

そして、この戦いで、昌平君は項燕と共に命を落とすことになります。

史実では、この最後の戦いの詳細な記述はほとんど残されていません。

でも、かつての盟友である蒙武や、信頼する王翦と敵対して戦い、そして散っていく彼の姿を想像すると、本当に胸が熱くなります。

彼は最期の時、何を思ったのでしょう。

故郷である楚を守りたかったのか、それとも、秦の天下統一という大きな流れに抗い、自分の信念を貫きたかったのか。

漫画では、この悲劇的な結末がどのように描かれるのか、想像するだけで涙が出そうになりますね。

切なすぎるけど、これこそが歴史の醍醐味なんだと、僕は強く感じています。

キングダム|昌平君「世話になった」何話?あのセリフの真意とは?

キングダムファンなら誰もが鳥肌が立ったであろう、あの「世話になった」というセリフ。

これは、呂不韋と政の権力争いがピークを迎えた加冠の儀で、昌平君が呂不韋陣営から政側に寝返る際に放った一言です。

いや、もう、あのシーンは最高でしたよね!

言葉少なげな昌平君が、ここぞという時に放つ、たった一言の重みたるや。

彼は呂不韋によって秦の中央に引き上げられ、軍の最高司令官にまでなりました。

つまり、呂不韋には大きな恩があったわけです。

だからこそ、その恩義を無視するのではなく、きちんと「世話になった」と認めた上で、自らの意志で呂不韋の元を離れることを宣言したのです。

このセリフには、単なる別れの言葉以上の深い意味が込められていたと僕は思います。

彼は以前から、秦の天下統一という壮大な夢を抱いていました。

そして、呂不韋のやり方と自分の理想との間に矛盾を感じ始めていたんです。

最終的に、彼は秦王?政こそが、その中華統一という夢を託すに足る「器」であると判断したんですよ。

呂不韋自身も、昌平君が「本来人の下につくような人物ではない」と評していますよね。

これは、彼が楚の公子という高貴な身分であるだけでなく、彼自身の類まれな才能と、誰にも従属しない確固たる信念を持っていたことを示唆しているんだと僕は解釈しています。

だから、「世話になった」という言葉は、呂不韋への感謝と敬意を表しつつも、自分の大義と夢のために、自らの道を切り開くという彼の揺るぎない決意の表れだったのではないでしょうか。

まとめ

キングダムで描かれる昌平君の人生は本当に複雑で、そしてとてつもなく魅力的ですよね。

僕らの大好きなキングダムで、この壮大な物語がどう描かれていくのか、これからも目が離せません!

最後までお付き合いいただいてありがとうございました。