鬼の子孫の宿坊は小仲坊(奈良県下北山村の前鬼集落)【世界の何だコレ!?ミステリー】

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「世界の何だコレ!?ミステリー」で奈良の奥深い山に「鬼の子孫が営む宿坊がある」って聞いて、思わず「何それ、マジか?!」って声が出ちゃった人、他にもいるんじゃないかな?

あの放送を見てからずっと気になってたんだよね。

だって、鬼の子孫って響きがもう、めちゃくちゃロマンがあるじゃないですか。

そんなわけで、今回は僕が気になった「小仲坊(おなかぼう)」という宿坊について、Google検索を駆使して集めた情報と、僕自身の熱い思いをぶつけながら深掘りしていきたいと思います!

ぜひ最後まで読んで、一緒にこのミステリアスな世界に浸ってほしいな。

■目次

「世界の何だコレ!?ミステリー」で話題!鬼の子孫の宿坊・小仲坊って?

「小仲坊」があるのは、奈良県吉野郡下北山村の前鬼という集落なんだ。

この「前鬼」っていう地名自体がもう、期待感を煽ってくるよね。

村の人たちも「用事がないと行かん!」って言うくらい、なかなか辿り着けない秘境なんだとか。

国道から林道に入って、約10kmも登った先に、石垣が築かれた平らな場所が現れるっていうから、想像しただけでワクワクするじゃないですか。

リポーターの照英さんも「霊気というか、冷たい風と異様な空気感がある。空気が薄くなってきた感じがする…ちょっと怖い」って言ってたけど、それこそが僕らが求めている“非日常”なんじゃないかな。

僕もいつかこの空気を肌で感じてみたいなぁ。

小仲坊へ行ってみよう!気になるアクセス&宿泊情報

よし、まずは気になるアクセスと宿泊の基本情報から攻めていこう!

小仲坊の所在地は、奈良県吉野郡下北山村前鬼30だよ。

車で行く場合、林道の途中にゲートが設置されていて、そこから先は直接車では入れないんだ。

駐車スペースに車を停めて、徒歩で約25分から30分ほど山道を登っていく必要があるみたい。

これぞ秘境へのアプローチって感じがして、冒険心をくすぐられるよね!

宿泊は、土日祝日が主な営業日とされているけど、登山者のために平日は無人宿泊所として開けてくれているんだ。

だから、急に「山に籠もりたい!」なんて衝動に駆られても安心だね。

料金は1泊2食付きで8,000円(要予約)、素泊まりなら4,000円だよ。

弁当も500円で頼めるから、山での食事の心配もいらない。

しかも、ここは電気は自家発電、電話は通じているけどガスは来ていないっていう、まさに“時代を超えた暮らし”を体験できる場所なんだ。

湧き水を使っているっていうのも、自然との一体感を感じられて最高じゃないですか。

都会の喧騒から離れて、自分と向き合う時間って、今の時代だからこそすごく貴重だと思うな。

1300年続く鬼の子孫の宿坊の物語:

この小仲坊の歴史、これがまたすごいんだ。

なんたって、約1300年も前から続いているというから驚きだよね。

始まりは、修験道の開祖とされる役小角(役行者)に仕えた鬼の夫婦とその5人の子どもたちなんだ。

彼らは役小角の教えに従って、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を歩く修験者たちの手助けをするために宿坊を開いたんだって。

江戸時代には、この集落は修験道の一大拠点として、教育の場としても栄えていたらしい。

一つの宿坊で1300人もの信者を抱えていたなんて、想像を絶する規模だよね。

だけど、明治時代に入って廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や修験道禁止令が出されて、修験者が激減しちゃったんだ。

5軒あった宿坊も、時代の波に逆らえず次々と閉鎖していってしまったんだって。

そんな中で、ただ一軒、五鬼助(ごきじょ)家だけが「小仲坊」を守り続けてきたんだから、その覚悟と誇りたるや、本当に胸が熱くなるよね。

現在の当主は61代目の五鬼助義之さんで、会社勤めをしながら週末に宿坊へ通う生活を続けているんだ。

「うちがなくなると修験者が困る。なくすわけにはいかないんです」という義之さんの言葉、重みが違うよ。

しかも、彼の長男である義峰さんも、62代目として宿坊を継ぐ意思があるというから、この素晴らしい歴史がこれからも続いていくことに希望を感じるよね。

修験道の開祖、役行者と前鬼・後鬼の絆

さて、小仲坊の物語の根幹をなす、前鬼と後鬼の伝説にも触れておこう。

元々、前鬼と後鬼は生駒山地、特に暗峠(くらがりとうげ)あたりで悪さをしていた鬼の夫婦だったんだ。

人に災いをなして恐れられていたっていうんだから、最初はかなりのワルだったんだろうね。

そんな彼らが、修験道の開祖である役小角(役行者)が山で修行する姿を見て、心を動かされたんだって。

役小角は、彼らの末っ子を鉄釜に隠して、子どもを殺された親の悲しみを訴え、夫婦を改心させたっていうから、その説得力、半端ないよね。

そして、役小角は前鬼に「義覚(ぎかく)」、後鬼に「義玄(ぎげん)」という人間の名前を与え、人として生活するよう命じたんだ。

改心してからは、前鬼は赤い鬼で鉄斧を手に持ち、役小角の前を進んで道を切り開く役割を。

後鬼は青い鬼で、霊力のある水が入った水瓶を持って役小角の後ろを歩くようになったんだ。

まるで最強のサポート役だよね。

単なる悪役としてではなく、改心して役行者と共に歩む「良い鬼」の姿は、僕たちの心にも響くものがあるんじゃないかな。

鬼の子孫の宿坊と現代に息づく五鬼の系譜:鬼のイメージが変わる?!

前鬼と後鬼の夫婦には5人の子どもたちがいたんだ。

彼らはそれぞれ宿坊を開いて、五鬼継(ごきつぐ)、五鬼熊(ごきくま)、五鬼上(ごきじょう)、五鬼助(ごきじょ)、五鬼童(ごきどう)と名乗ったんだって。

これもまた、一族の絆を感じさせるエピソードだよね。

でも、前述の通り、明治時代の修験道禁止令で多くの宿坊がその歴史に幕を閉じていったんだ。

五鬼熊、五鬼上、五鬼童の3家は廃業して前鬼の里を離れ、五鬼継家も1960年代には廃業してしまったらしい。

本当に、激動の時代だったんだろうね。

そんな中で、現在まで宿坊を守り続けているのが、唯一残った五鬼助家なんだ。

でも、他の子孫たちも形を変えて現代に生きているんだよ。

例えば、五鬼熊の姓を名乗っていた榎本家は、今も三重県熊野市にいて、遠い先祖は五鬼熊を名乗っていたらしいんだ。

五鬼継家の子孫は和歌山県でソフトウェア会社を経営しているっていうから、これもまた現代的な「鬼の子孫」の姿だよね。

さらに驚くべきは、五鬼上家の子孫には、なんと最高裁判所判事を務めた五鬼上堅磐(ごきじょう かきわ)さんという方がいらっしゃるんだ。

鬼の子孫が日本の司法を支えているなんて、めちゃくちゃかっこいいじゃないか!

五鬼助義之さんは、「一般に鬼は恐ろしい存在と思われがちだけど、私はそうは思っていない」って言うんだ。

一説には「鬼」と書いて「かみ」と読むこともあり、元々は山の民で、天上界と地上界を結ぶキューピッドのような役割をしていたんじゃないかって考えているんだって。

この話を聞いた時、僕の中の「鬼」のイメージがガラッと変わったよ。

彼らは単なる悪者じゃなくて、深い歴史と文化を背負った、誇り高き山の民だったんだね。

まとめ

今回のリサーチで、「小仲坊」と「鬼の子孫」たちの物語に、すっかり魅了されてしまったよ。

「前鬼ブルー」なんて言葉がネットでバズったっていう義之さんの話を聞くと、歴史と現代のカルチャーが交錯する面白さを感じるよね。

この場所は、ただの山奥の宿坊じゃなくて、1300年もの間、人々の信仰と物語を守り続けてきた、まさに生きた伝説なんだと思う。

僕もいつか、この小仲坊を訪れて、五鬼助さんとお話をして、前鬼の里の神秘的な空気を感じてみたいなぁ。

読者の皆さんも、もし少しでも「気になる!」って思ったら、ぜひこの秘境への旅を計画してみてほしい。

きっと、他では味わえない感動と学びがあるはずだから!