プロ野球への夢は諦めない!関本勇輔選手の現在地と日大中退の真相
プロ野球ファンの皆さん、こんにちは!
突然ですが、元阪神タイガースの名選手、関本賢太郎さんの長男である関本勇輔選手の名前を聞いて、今どうしているか気になっていませんか?
強豪・履正社高校でキャプテンを務め、プロからも熱い視線を集めた「球界のサラブレッド」が、大学でまさかの中途退学という大きな挫折を経験しながらも、再びプロを目指しているんです。
今回は、そんな関本勇輔選手の現在までの軌跡を、僕の情熱とともに徹底的に掘り下げていきましょう。
■目次
関本勇輔(関本賢太郎の息子)wiki現在|プロフィール
■関本勇輔の基本情報
関本勇輔選手は、2002年9月28日に兵庫県西宮市で生まれました。年齢が現在23歳。
出身地を聞くと、やっぱり関西の野球ファンとしてはグッと熱い気持ちになりますね。
ポジションはキャッチャー、右投げ右打ちの選手です。
体格は178cm、86kgという堂々としたもので、捕手としては理想的なサイズ感を持っています。
お父さんの関本賢太郎さんは天理高校出身で阪神タイガースにドラフト2位で入団しましたが、勇輔選手も父と同じく、野球一家のDNAをしっかりと受け継いでいることがわかります。
現在は社会人野球のSUNホールディングスWESTに所属し、再びプロ野球選手への夢を追いかけている真っ最中です。
関本勇輔(関本賢太郎の息子)|球歴
■球界のサラブレッドが歩んだ道のり
勇輔選手の野球人生は、地元・兵庫県西宮市で、夙川小学校1年生の時に軟式野球を始めたことからスタートしています。
中学時代は硬式野球の強豪チーム、兵庫西宮ボーイズで捕手としてプレーし、全国大会も経験していますね。
その後、大阪の野球名門校である履正社高校に進学しました。
履正社では2年生の春に背番号12でメンバー入りし、同年夏には控え選手ながらチームが全国高校野球選手権大会で初優勝を果たすという、最高の経験をしました。
そして、秋からはチームの主将を務め、4番捕手としてチームを牽引しました。
高校卒業時にはプロ志望届を提出し、阪神や巨人など複数の球団から調査書が届くほど注目されていましたが、残念ながら指名漏れとなりました。
その後、4年後のプロ入りを目指して日本大学へ進学しましたが、後述する理由で大学を中途退学し、現在は社会人野球のSUNホールディングスWESTで奮闘しています。
関本勇輔(関本賢太郎の息子)|成績
■驚異の高校通算本塁打数と強肩データ
勇輔選手の最大の魅力は、その強肩とパンチ力のある打撃にあります。
高校通算本塁打は25本を記録しており、これは強打者としてのポテンシャルを証明する数字です。
また、彼のキャッチャーとしての守備能力は目を見張るものがあり、遠投125mを誇る強肩は高校生の中でもトップクラスでした。
特に二塁への送球完了タイムは最速で1.82秒を叩き出しており、この数字はプロのスカウト陣も唸らせるレベルです。
実際、2020年の交流試合では、なんと3イニング連続で二盗を阻止するという圧巻の強肩を披露しています。
打撃面では、阪神の和田テクニカルアドバイザー(当時)が「ストライクゾーンに来たタマを打ち損じしないで1球で仕留める」「そういうところはお父さんに似ている」と評価していたように、選球眼の良さと確実性、そして勝負強さが光っていました。
高校時代の秋季大阪大会では18試合で打率.446、4本塁打、35打点という驚異的な成績を残しており、履正社の岡田監督(当時)からも「何番でも自分の仕事に徹していた」と褒められています。
ただ、日本大学時代はリーグ戦での出場記録が確認されていません。
社会人野球に移ってからは、2025年の近畿最終予選で11打数4安打、打率.364を記録するなど、再び打撃で結果を残し始めています。
関本勇輔(関本賢太郎の息子)|日本大学を退部の理由は?
■日本大学を去った理由と再起への情熱
勇輔選手が日本大学を2年になるタイミングで退部し、大学も中退したという事実は、多くのファンにとってショックな出来事でした。
なぜ、あれほど将来を期待された選手が大学の道を諦めてしまったのでしょうか。
本人によると、日大に進学したものの、「そもそも大学野球のレベルに達していないなと。そこで心が折れた。無理やなと」と、大学野球のレベルの高さに圧倒されてしまったことを明かしています。
高校時代、キャプテンとして試合に出ていたことにも「確信がなかった。疑心暗鬼の中でやってきて大学に入ってダメだったか」と感じてしまい、野球から離れ、一時は就職の道も考えていたそうです。
しかし、一度野球を辞めて家に帰っていたある日、偶然YouTubeで流れてきたのが、父・関本賢太郎さんの引退試合の動画でした。
花束を渡した時の、虎党の黄色一色で埋め尽くされた甲子園の光景が脳裏に鮮明によみがえり、「こうなるのを目指していたのにレベルが高いからという理由でやめて家に帰ってきて。なにしてんねやろって」と、熱い気持ちが再燃したと言います。
この時、お父さんからも「やった方がいいよ」と背中を押してもらい、再びプロの舞台を目指すことを決意しました。
現在は社会人野球チームの創部メンバーとして入団し、午前中は野球の練習、午後は電気工事に関する仕事に出社するという多忙な日々を送っています。
プロを目指すという覚悟を持って、電気工事士の資格取得も目指すなど、野球と社業を両立させている姿には、本当に頭が下がります。
この経験は、勇輔選手の野球人生において、大きな転機となったことは間違いないでしょう。
まとめ
■関本勇輔選手の未来へ
元阪神・関本賢太郎さんの長男、関本勇輔選手は、履正社高校時代には強肩強打の捕手として鳴らし、高校通算25本塁打、二塁送球1.82秒という驚異的な数字を残しました。
ドラフトでの指名漏れを経て日本大学へ進学したものの、大学野球のレベルに圧倒され、一度は野球を辞めてしまうという挫折を経験しました。
しかし、父の引退試合の映像がきっかけで情熱を取り戻し、現在は社会人野球のSUNホールディングスWESTで、プロ入りという夢を諦めずに挑戦を続けています。
野球と仕事・資格取得の勉強を両立させる「必死のパッチ」(お父さんの代名詞ですが、彼にも通じるはず!)な日々を送る勇輔選手。
泥臭くも前向きな彼の挑戦は、私たちファンにとっても胸を打つストーリーです。
いつかNPBの舞台で、父と同じように甲子園の歓声の中でプレーする日を楽しみに、これからも彼の活躍を全力で応援していきましょう!